雨の鎌倉、小さなカフェで老子に出逢った。取り敢えずメモメモ。
こういう人だから 無理をしないんだ、
タオを身につけた人というのは 消耗しない。
消耗しないから 古いものをいつしか新しいものにしてゆく。
いつも「自分」」でいられて 新しい変化に応じられるのさ。(第15章)
それは、静けさにもどることだ。
水の行く先は ―― 海
草木の行く先は ―― 大地
いずれも静かなところだ。
すべてのものは大いなる流れに従って定めるところに帰る。
(そして、おお、再び蘇るのを待つ。)
それを知ることが智慧であり 知らずに騒ぐことが悩みの種をつくる。
いずれはあの静けさに帰り 蘇るのを待つのだと知ったら
心だって広くなるじゃないか。
心が広くなれば 悠々とした態度になるじゃないか。
第48章 存在の内なるリズムに任す
誰だって初めは 知識や礼儀作法を取りいれるさ、利益になるからね。
けれども、それからタオにつながる人は、
蓄えたものを、忘れてゆくんだ ―― いわば損をしてゆく。
どんどん損をしていって、しまいに空っぽ状態になった時、
その人は内なる自由を獲得する。
それを無為というんだ。
無為とは知識を体内で消化した人が
何に対しても応じられるベストな状態のこと、
あとは存在の内なるリズムに任せて 黙って見ていることを言う。
本当に大きな仕事をする者はね、こういう姿勢でいる ――それができずに
あれこれ指図ばかりしてる者は まあ、天下を取る器じゃあないのさ。
第81章 タオにつながる人
本当の言葉というもは 甘い響きのものではない。
甘い響きの言葉は 本当の言葉ではない。
腹のある人は あまり喋らんものだし 喋りまくる人は腹がないんだ。
真に賢い人とは 知識を漁って広く知る者じゃない。
広い知識を自慢する者は、真に賢い人ではない。
道タオによくつながる人は 蓄めたり積んだりしない、そしていつも他人の為にしようとする。
そうすることによって ますます自分が豊かになる。
内に持つものを すっかり他人に与えようとする、そうすることで ますます多く与えられる。
というのも こうするのが天タオの働きだからであってタオの働きは、他人に益を与えるけれど、害はしない。
この働きをよく知る人は、だから何か行為をする時、争わないのだよ。
争わないでするのだよ。
メモ終了。 いい雨中の散歩だった、出逢いに感謝❣